5月
論文「エマニュエル・ドンガラの小説『狂犬ジョニー』における子ども像とドンガラの模索」
大阪大学大学院言語文化研究科スワヒリ語専攻『スワヒリ&アフリカ研究』第28号,pp. 1-20.

4月
評論「ブルキナファソの作家アンソムウィン・イニャス・イエンの『平和のハト』のメッセージ」:
アフリカ文学研究会会報『MWENGE』43号
http://web.kyoto-inet.or.jp/people/keiko-ku/Africa/index.html

6月
投稿「絵本展示会:アフリカの絵本ってどんなの? 」
アフリカ日本協議会会報『アフリカNOW』105号
http://www.ajf.gr.jp/lang_ja/africa-now/2016.html

9月
投稿「西アフリカの フランス語で書かれた 絵本の紹介と展示」
アフリカ協会機関誌『アフリカ』2016年秋号

9~10月
執筆記事「アフリカの絵本ってどんなの?」
共同通信社から配信(大分、岐阜、静岡、山口などの地方紙の子どもしんぶんに掲載)

ニジェールの思い出をつづった文章です。
いくつかは、北日本新聞のコラム「世界に夢架け 青年海外協力隊の活躍」の一部として掲載されました。(タイトルは原文のまま)

 

「ニジェール、心に浮かぶ風景」2001年4月25日掲載

「ニジェールという国に行きませんか。」青年海外協力隊に参加しようと受けた試験の面接でこう言われた。
ほんとうのところ、この国がどこにあるかさえ知らなかった。思えばずいぶんと傲慢な始まりだった。
しかしどれほど説明されたとしても出かけていく前の私には何も理解できなかっただろう。
西アフリカ、サハラ砂漠の南、世界でもっとも暑い国のひとつ。こう言ったところでニジェールという国の何がわかるだろうか。このささやかな文章もニジェールの姿の一部しか伝えられないのだが、それが本当のこと、実際に出会った人について書かれたものである限り書いておく意味があると思いたい。

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「ニジェールでお茶を」2001年4月26日掲載

カフェと言っても、ニジェールのカフェは板を集めてきて作ったようなテーブルがひとつあって、それを角が丸くなった長椅子が囲んでいるだけのものだ。それらは夜はどこかにしまいこまれている。湯はその場で薪を使って沸かす。
首都ニアメのあちらこちらにこのようなカフェがある。自転車で移動していた私は暑さと乾燥で頭がくらくらしてくると立ち寄った。季節にもよるが、乾季から雨季にかわる四~五月ころは日中五十度以上になった。
気に入りのカフェはいくつかあったが、そのなかにタバコも商っていたところがあった。タバコのことは良く知らないが、「ゴロアーズ」というタバコが珍しかった。
ゴロアーズgauloiseはフランス人の祖先とされる「ガリア人」の女性名詞であり、「ガリア人の」という形容詞の女性形でもある。ここまでは辞書をひくとわかる。

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「ニジェールの保育園」2001年4月27日掲載

私は首都ニアメの保育園で保育士たちとともに働くためにニジェールに行った。ギダン・ヤラ保育園という園だった。ハウサ語で「子どもたちの家」という意味だ。子どもたちは私のことを「タンティ・ハルセ」と呼んだ。タンティは「先生」だ。
保育園はニジェール初の試験園として設立されたと言われたが、この国の公務員がいつでも数ヶ月間給料未払いなのと同様、保育士たちも給料が払われず、よく愚痴を言った。それでも私がいた当時は新年度の十月には七十名ほどの子どもたちが入園してきていた。
日本でも入園したての子どもたちの泣きようと怒りようは大変なものだ。ここでも初日から丸一日預けられた子どもは不安で泣き続け、子どもも保育士も本当にご苦労様と言いたくなるような日々が一ヶ月ほど続く。

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