ニジェール、心に浮かぶ風景 5

「モウドゥーの思い出」

ギダン・ヤラ保育園の子どもたちの中に、モウドゥーという子がいた。彼はたぶん保育園に来るには大きすぎたと思うが、重い障害があって両親がここに来るのを望んだのだ。
モウドゥーの頭はとても大きく、額もせり出していた。知的障害があり、言葉はほとんどないように思われた。両手、両足の中指と薬指は接合していて、歩くのも、何かを持つのもぎこちなかった。母親は「フランスで手術を受ければとも言われたけれど、必ず障害がなくなるという保証もないので、このままにしています。」と話してくれた。
入園したてのモウドゥーは庭の端や園舎の入り口でウェーン、ウェーンと泣いていた。大柄なこの子を保育士ももてあましたらしく、誰もかまおうとしない。なんとか気分を変えたいと、話しかけたが、それもいやだと手で私を追いやった。仕方がない、根比べだ。拒否されても何度でも話し掛け、とうとう抱っこし、モウドゥーも笑顔を見せてくれるまでになった。

これも数週間かかっただろうか。ある日モウドゥーが私のことを「タンティ」と呼んでいるのに気づいた。他の子どもを真似しているのだ。保育園での集団生活が彼に及ぼした影響を考えると、私にはギダン・ヤラがとても誇らしく思えた。感情の表現もずいぶんと大胆になっていった。
彼は喜びを独特のやり方で表現した。大きなおでこをこちらにぐいぐいと押し付けてくる。座ってオカリナを吹いていたら誰かが後ろから押すので振り向くとモウドゥーだったということもあった。
モウドゥーはどうしているだろうか。保育園は保育料の滞納や経営方法の無理などが重なって、私が帰国する年のバカンス前にはどうにも立ち行かなくなってしまった。
私の帰国後園長は交代し、保育士も全員解雇され、子どもの数も減ったそうだ。けれど私立の保育園がいくつかできたそうだ。ギダン・ヤラの影響だろうか。その中のひとつにモウドゥーがいて、笑ってくれていたらと思う。