ニジェール、心に浮かぶ風景 3

「ニジェールの保育園」2001年4月27日掲載

私は首都ニアメの保育園で保育士たちとともに働くためにニジェールに行った。ギダン・ヤラ保育園という園だった。ハウサ語で「子どもたちの家」という意味だ。子どもたちは私のことを「タンティ・ハルセ」と呼んだ。タンティは「先生」だ。
保育園はニジェール初の試験園として設立されたと言われたが、この国の公務員がいつでも数ヶ月間給料未払いなのと同様、保育士たちも給料が払われず、よく愚痴を言った。それでも私がいた当時は新年度の十月には七十名ほどの子どもたちが入園してきていた。
日本でも入園したての子どもたちの泣きようと怒りようは大変なものだ。ここでも初日から丸一日預けられた子どもは不安で泣き続け、子どもも保育士も本当にご苦労様と言いたくなるような日々が一ヶ月ほど続く。

ユスーという二歳の男の子ははそんな風に泣き続ける一人だった。抱っこすると落ち着くので、二ヶ月ほどは毎日泣いているのを見つけては抱っこしていた。ユスーにはおしっこ十数回、うんち一回をおもらしされた。そんなときは、はいていたズボンに直接水をジャージャーかけた。そのまま動き回っていたら乾いてしまった。そのユスーもいつのまにか「タンティ」と生意気に私に話しかけるようになっていった。
子どもに関することは数限りない。ある朝、一人のお母さんが子どもを連れてくると保育士に「シェイクを呼んで」と言った。シェイクが呼ばれた。お母さんはこの子に向かって何事かをザルマ語でまくし立てた。小さいシェイクはじっと立ち尽くしていた。圧倒されていたと言うべきか。何と言ったのだろう。
買い物するぐらいのザルマ語しかできない私に保育士が説明してくれた。昨日シェイクはバシルという子に「おまえのママとパパを撃ってやる」と言ったらしい。バシルは帰宅してそれをママに話した。怒ったママは今朝「私はあんたの歯を全部抜いちゃうからね」とシェイクに言ったのだった。彼女は歯医者だった。